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洋食器コラム
 
 
■第1回 西洋磁器の誕生■
 17世紀の大航海時代、ヨーロッパ諸国の中でもとりわけ造船技術と航海術に長けたオランダは、東インド会社を経由して、中国(後には日本)から大量の磁器をヨーロッパへ運び込みました。当時の記録にはコーヒーカップ8万客、ティーカップ30万客などというオソロシイ数字も残っています。

 「白い黄金」と呼ばれた磁器の持つミルクのような濃い白色、絵付けの美しさ、そしてその堅牢さは人々を魅了し虜にしました。とは言え、こうした磁器は大変に高価でしたから、実際に手にすることができたのは、ごく限られた特権階級に属する王侯貴族だけだったでしょう。そうした人々の中に、やがて磁器の製法を解明し、自らの手で製作してみたいと考える人が出てきました。ザクセンの選帝侯フリードリッヒ・アウグスト強権王もそんな一人でした。彼は熱狂的とも言える磁器のコレクターで、プロシア王所蔵の120点ばかりの磁器のために、自らの龍騎兵600人と交換してしまったという逸話の持ち主でもありました。そんな彼が、若き錬金術師ヨハン・フリードリッヒ・ベドガーに本格的な磁器の製法解明を命じたのは、1703年頃のことでした。




  錬金術で王の期待に添えなかったベドガーは、それまでと変わらぬ幽閉された身で、苛烈な環境に辛うじて耐え続けました。そしてそれから約5年後の1708年1月15日、ついに磁器製作に成功したと、彼は自分の日記に記したのです。これが一応、西洋磁器の誕生であります。王への報告は翌年の1709年に行われ、アウグスト王は次の年1710年王立マイセン窯を開設したのです。(ただし、マイセンの公式な創業年は、1709年となっています。)

  一方白磁の製作に成功したベドガーは、製法の秘密が漏れることを恐れた王によって、相変わらず囚われの身のまま、未解決のまま残った装飾などの技術的解明に追われ、ついにアルコール中毒により37年という短い波乱の生涯を閉じるまで、苦悶の日々は続いたのでした。

  次回は、では「磁器とは何か」ということについて少しお話ししたいと思います。良い西洋磁器に出会うためには、そしてそれによって心ふくらむ幸福感を味わうためには、少々の"知識"も必要だと思うからです。
文責:三沢 厚

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